「あの、大丈夫ですか?なるほどくん…」
血の気の失せた生気のない顔を、本当に心配そうに春美が覗き込んで来る。
今にも泣き出しそうな彼女の表情を見て、成歩堂はミドリ色の顔で無理矢理笑顔を作った。
「大丈夫だよ、春美ちゃん。寝てれば治るから」
「そうだと、良いのですが…」
春美は蚊の鳴くような声で返事をすると、そのまま悲しそうに下を向いてしまった。
矢張から酷い風邪をうつされたのは、数日前のこと。
何とか事務所に出勤しているものの、頭はくらくらするし、耳鳴りは酷いし、熱は高いしで、全く仕事にならない。
今もソファにぐったりと横になっているのだけど、一向に具合は良くならなかった。
真宵が急な用事で倉院の里に戻っている間に、こんなことになるなんて。
明日にはきっと、帰って来てくれるのだろうけど。
電話で話したとき、成歩堂の様子があまりに酷かったので、心配した真宵は春美に頼んだらしい。
なるほどくんのこと、お願い、と。
真宵のことが大好きな春美は、当然、心を痛めている彼女の頼みを断るはずもなく。
それどころか異様な使命感に燃えて、こうして来てくれた訳だ。
でも……。
「春美ちゃん、ぼくは大丈夫だよ。それより、風邪がうつったら大変だから、里に戻っていなよ」
春美のことが心配でそう言うと、彼女は何度も首を横に振った。
「そ、そんなことは出来ません!わたくし、なるほどくんが良くなられるように、精一杯頑張ります!」
和服の袖を捲り上げて力いっぱい叫ぶ姿を見ると、何だか無理に追い返すのも悪くなってしまう。
「解かった…。でも、あんまりぼくに近付かないようにね」
仕方なく頷くと、春美は拳を握り締めて頷いた。
「はい!大丈夫です、なるほどくん!」
そして、急に照れたような顔になって、小さな手のひらで頬を覆ってみせる。
「わたくし、真宵さまにお聞きしました。口付けをしなければ、うつることはないのだと…」
「…そ、そう」
どうしてここで、口付けの話が?
そんな疑問が頭を過ぎったけれど、成歩堂は追及するのをすぐに止めた。
春美の目は何かに酔ったようにうっとりして、頬はほんのりと赤く染まっている。
何を想像しているのかは…きっと、聞くまでもないだろう。
「とにかく!わたくしにお任せ下さい、一生懸命看病させて頂きます!」
「う、うん。ありがとう、春美ちゃん」
色々な不安はあったけれど、結局、成歩堂は春美の厚意に甘えることにして、弱々しく首を縦に振った。
春美が持って来てくれたタオルを濡らして、額を冷やしながらソファに改めて横になる。
ひやりとした感触が心地良くて、そこから熱が抜けて行くのが気持ち良い。
そうやって目を閉じている内に、いつの間にか眠ってしまったらしい。
「なるほどくん…」
小さく呼ぶ声で目が覚めて、成歩堂は顔を上げた。
「あ……春美ちゃん。何?お腹空いた?」
「い、いえ。あの、こちらへいらして頂きたいのです…」
「え……?」
「お風邪を治す、とっておきの方法があるのです」
「え……」
(とっておきの、方法?)
そんなものが、あるのだろうか。
不審に思いながらも、小さな手に引かれて、そっとソファから起き上がる。
先を歩く彼女に着いて行くと、事務所の奥にあるバスルームに辿り着いた。
「春美ちゃん?」
「ご覧になって下さい、なるほどくん」
ほんの少し得意気に彼女が指差したのは、バスルームの中に当然のようにある、浴槽。
「は、春美ちゃん?」
熱で目が霞んでいた成歩堂は、一瞬、目の前に広がる光景が幻かと思ってしまった。
「な、何だいこれ…。春美ちゃん、修行でもするの?」
「いえ、何をおっしゃっているのですか。さぁ、ここにお入りになって、お熱を下げて下さい」
「え?!い、いや、あの…」
成歩堂が口籠もったのも、無理はない。
浴槽の中には冷たそうな水がいっぱいに張ってあって、とても入れるような状況じゃない。
それに輪を掛けて、これでもかと言うほどに氷が沢山浮いていて、見るだけで底冷えしそうな…。
こんなところに入ったら、熱が引くどころか寿命が短くなってしまうだろう。
熱を下げるなら、濡れタオルなんかで額だけ冷やすより、いっそ、体ごと!
春美のその発想は、解からなくはない。
でも、それは無謀と言うものだ。
「あのね、春美ちゃ…」
やんわりと断ろうとした、その瞬間。
「さぁ!どうぞ、遠慮なさらず!」
「え…うわっ!?」
声を上げた春美にドン!と背を押され、成歩堂は浴槽の中に頭から思い切り突っ込んでしまった。
「―――っっっ!!!」
バシャーン!と言う大きな音と共に、言葉にならない悲痛な悲鳴を上げたのは言うまでもなく・・・。
「さ…さむ、い…」
「も、申し訳ありません、なるほどくん!」
大急ぎで着替えをした後も、ブルブルと震えたままの成歩堂に、春美は今にも泣きそうになって頭を下げた。
「い、いや、いいんだよ、春美ちゃん」
春美を安心させる為にそう言いはしたものの、体の震えは酷くなる一方で、何だか意識が遠退いて行く。
そのまま目を閉じると、成歩堂は気を失うように眠り込んでしまった。
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