夜中にチャイムがなって、ベッドの中でまどろんでいた成歩堂はゆっくりと目を開けた。
枕元の時計に目をやると、もう十二時を回っている。
こんな時間に、何の連絡も寄越さずに、一体誰が…?
真宵だったら、まず電話かメールはしてくれるはず。
少し考えて、頭の中には一人の男の顔が浮かんだ。
バンドーホテルでの食事中、用があると言って、先に帰ってしまった、彼。
何だか解からないけれど妙な確信があって、成歩堂はがばりと起き上がった。
何も言わずに勢い良く扉を開けると、外にいた人物はかなり驚いたようだった。
「随分、無用心だな」
「あ、ああ…」
そこには、成歩堂が予想した通り、御剣怜侍の姿があった。
「み、御剣…」
「すまない、こんな夜中に」
「い、いや…」
「メイに会って来た。きみがあれを渡してくれて、本当に良かったよ」
「え、ああ…そうか…」
あれとは、きっと、あの鞭のことだろう。
役に立ったのなら、それに越したことはない。
でも、何故彼がここに…。
目を見開いたまま立ちつくしていると、御剣はふっと柔らかく笑った。
「中に入れてはくれないのか」
「あ、ああ!ごめん」
こんなことは久し振りで、どう対応していいものか、つい考え込んでしまった。
でも、こんな夜中に尋ねてきた彼と、玄関先で立ち話と言うのも、確かに可笑しい。
成歩堂はぎこちない動きで扉を開け、彼を中に迎え入れた。
けれど。
中へ入れたはいいものの…自分の部屋にいる彼の姿に、何だかやたらと違和感を感じる。
いつも顔を合わせるのはあの法廷でのことだったし、こうして彼がここを訪れるのは、実に一年ぶりだ…。
そうだ、あの時以来…。
「成歩堂」
「……!」
ぼんやりと思い巡らしていたところで、不意に名前を呼ばれた。
その声に、思わずぎくりとする。
少し熱っぽい、低い声。こんな声には、聞き覚えがある。
彼がまだ姿を消す前…。
「な、何だよ」
明らかに動揺してしまった声が上がって、成歩堂は自身に舌打ちしたくなった。
こんなあからさまな反応を、御剣が見逃すはずない。
案の定、彼は何かを刺激されたように、成歩堂に向けてその手を伸ばした。
がしりと腕が掴まれて、胸の内がざわざわと騒ぎ出した。
「きみがどうしているのか、ずっと気になっていた」
「…!な、何言ってるんだよ、今更…」
腕を掴む指先に力が籠もって、成歩堂は咄嗟にその手を払い除けた。
「や、止めろよ…!ぼくはお前を許した訳じゃない」
「……」
声を荒げても、御剣の表情は変わらなかった。
整った彼の顔には、何の陰りも無い。
「そのことについて…誤解は解けたのだと思っていたのだが…?」
「そうじゃない!検事としては、信頼してるよ!で、でも…!あんなことを…」
「あんなことをしておいて、姿を消したのは、許せない…か?」
「……!!」
核心を突かれ、成歩堂は息を飲んだ。
脳裏に、一年前、御剣が姿を消す、すぐ前の出来事が思い浮かぶ。
あの時も、今晩みたいにいきなり訪ねて来て、訳も解からないまま押し倒されてて。
何でこんなことをするのかと、何度喚いても、御剣は殆ど何も話してくれなかった。
それでも、頭の中で色々自分に言い聞かせて、彼の行為を正当なものだと思うように努力した。
あの時、御剣が色々なものに裏切られて、苦しい立場にあったのはよく解かっていた。
だから、普通の状態じゃなかったんだと思う。
きっと彼は、成歩堂のことを思った上で、何かに縋り付きたくて、こんな強行手段に出てしまったんだと…そう思うようにした。
でも、数日後、彼は何も言わないままいなくなってしまった。
その時、自分がどんな気持ちになったか、もう思い出したくもない。
せめて、あんな行為に出た理由だけでも聞かせてもらえれば良かったのに…。
それは叶うことがなかった。
ずっと昔から寄せていた信頼を裏切られた上に、そんな仕打ちまで…。
「誰だって、そう思うよ…ぼくも、そう思った」
胸の内に燻っていたわだかまりを吐き出すように言うと、御剣は少しの間無言になって。
それから、顔色一つ変えずに口を開いた。
「あれは仕方がなかったのだ。姿を消す時、きみのことだけが気掛かりだったからな」
「……?どう言う意味だよ」
無意識のうちに、責めるような声色が出てしまう。
検事と弁護士としての信頼。
それが裏切られていなかったのは解かる。
でも…。
「成歩堂」
「……!!」
低く名前を呼ばれて、再びびくりと肩を揺らした。
無意識に一歩後ずさりすると、追うように間を詰められる。
背中に壁の感触がして、焦りが生まれた直後。
振り払った筈の手に、先ほどよりも強く掴まれ、側に引き寄せられる。
彼の匂いが側にぐっと近付いて、それだけで心臓の音が大きくなった。
どくどくと少しずつ鼓動が早まって、息が苦しくなる。
「私がいない間…こんな風に、私以外の誰かがきみに触れないと、誰が保証出来るのだ」
「……!?」
言いながら、御剣はぎゅっと抱き締めるように、成歩堂の体に腕を回した。
その手が腰のラインをなぞって、そっと胸板に上がってくる。
ネクタイが緩められて、シャツのボタンが外される。
乱れたシャツの隙間から、彼の手がそっと潜り込んで来た。
「だから、きみを私のものにしておこうと思ったのだ」
「……!」
久し振りに触れる温かい手の感触に、体が強張る。
「い、やだ、御剣…」
成歩堂は震える声で拒絶の言葉を吐き出した。
でも、それは喉の奥に引っ掛かったように力なくて、殆ど意味をなさなかった。
解かっている。これは、ただ意地を張っているだけだ。
簡単になんて許すものか。そう思いたいだけなのだ。
でも、こうして触れられていたら、それだけで何もかもどうでも良くなってしまう。
「は、離せよ…」
「それは、無理と言うものだ…」
「……!」
「成歩堂…。私は、本当にずっと、きみのことばかり考えていたのだから」
気が、可笑しくなりそうなほど。
熱っぽい声色で耳元に囁かれて、成歩堂は小さく息を飲んだ。
ざわ、と肌が興奮で粟立つのを感じた。
信じられないくらいに体温が上がって、何だか胸の奥が苦しいような苦いようなもので溢れて。
上手く息ができなくて、眩暈がする。
足元がぐらりとよろめいて、成歩堂は無意識のうちに御剣の腕にしがみ付いた。
NEXT