結末1




夜中にチャイムがなって、ベッドの中でまどろんでいた成歩堂はゆっくりと目を開けた。
枕元の時計に目をやると、もう十二時を回っている。
こんな時間に、何の連絡も寄越さずに、一体誰が…?
真宵だったら、まず電話かメールはしてくれるはず。
少し考えて、頭の中には一人の男の顔が浮かんだ。
バンドーホテルでの食事中、用があると言って、先に帰ってしまった、彼。
何だか解からないけれど妙な確信があって、成歩堂はがばりと起き上がった。

何も言わずに勢い良く扉を開けると、外にいた人物はかなり驚いたようだった。

「随分、無用心だな」
「あ、ああ…」

そこには、成歩堂が予想した通り、御剣怜侍の姿があった。

「み、御剣…」
「すまない、こんな夜中に」
「い、いや…」
「メイに会って来た。きみがあれを渡してくれて、本当に良かったよ」
「え、ああ…そうか…」

あれとは、きっと、あの鞭のことだろう。
役に立ったのなら、それに越したことはない。
でも、何故彼がここに…。
目を見開いたまま立ちつくしていると、御剣はふっと柔らかく笑った。

「中に入れてはくれないのか」
「あ、ああ!ごめん」

こんなことは久し振りで、どう対応していいものか、つい考え込んでしまった。
でも、こんな夜中に尋ねてきた彼と、玄関先で立ち話と言うのも、確かに可笑しい。
成歩堂はぎこちない動きで扉を開け、彼を中に迎え入れた。
けれど。
中へ入れたはいいものの…自分の部屋にいる彼の姿に、何だかやたらと違和感を感じる。
いつも顔を合わせるのはあの法廷でのことだったし、こうして彼がここを訪れるのは、実に一年ぶりだ…。
そうだ、あの時以来…。

「成歩堂」
「……!」

ぼんやりと思い巡らしていたところで、不意に名前を呼ばれた。
その声に、思わずぎくりとする。
少し熱っぽい、低い声。こんな声には、聞き覚えがある。
彼がまだ姿を消す前…。

「な、何だよ」

明らかに動揺してしまった声が上がって、成歩堂は自身に舌打ちしたくなった。
こんなあからさまな反応を、御剣が見逃すはずない。
案の定、彼は何かを刺激されたように、成歩堂に向けてその手を伸ばした。
がしりと腕が掴まれて、胸の内がざわざわと騒ぎ出した。

「きみがどうしているのか、ずっと気になっていた」
「…!な、何言ってるんだよ、今更…」

腕を掴む指先に力が籠もって、成歩堂は咄嗟にその手を払い除けた。

「や、止めろよ…!ぼくはお前を許した訳じゃない」
「……」

声を荒げても、御剣の表情は変わらなかった。
整った彼の顔には、何の陰りも無い。

「そのことについて…誤解は解けたのだと思っていたのだが…?」
「そうじゃない!検事としては、信頼してるよ!で、でも…!あんなことを…」
「あんなことをしておいて、姿を消したのは、許せない…か?」
「……!!」

核心を突かれ、成歩堂は息を飲んだ。
脳裏に、一年前、御剣が姿を消す、すぐ前の出来事が思い浮かぶ。
あの時も、今晩みたいにいきなり訪ねて来て、訳も解からないまま押し倒されてて。
何でこんなことをするのかと、何度喚いても、御剣は殆ど何も話してくれなかった。
それでも、頭の中で色々自分に言い聞かせて、彼の行為を正当なものだと思うように努力した。
あの時、御剣が色々なものに裏切られて、苦しい立場にあったのはよく解かっていた。
だから、普通の状態じゃなかったんだと思う。
きっと彼は、成歩堂のことを思った上で、何かに縋り付きたくて、こんな強行手段に出てしまったんだと…そう思うようにした。

でも、数日後、彼は何も言わないままいなくなってしまった。
その時、自分がどんな気持ちになったか、もう思い出したくもない。
せめて、あんな行為に出た理由だけでも聞かせてもらえれば良かったのに…。
それは叶うことがなかった。
ずっと昔から寄せていた信頼を裏切られた上に、そんな仕打ちまで…。

「誰だって、そう思うよ…ぼくも、そう思った」

胸の内に燻っていたわだかまりを吐き出すように言うと、御剣は少しの間無言になって。
それから、顔色一つ変えずに口を開いた。

「あれは仕方がなかったのだ。姿を消す時、きみのことだけが気掛かりだったからな」
「……?どう言う意味だよ」

無意識のうちに、責めるような声色が出てしまう。
検事と弁護士としての信頼。
それが裏切られていなかったのは解かる。
でも…。

「成歩堂」
「……!!」

低く名前を呼ばれて、再びびくりと肩を揺らした。
無意識に一歩後ずさりすると、追うように間を詰められる。
背中に壁の感触がして、焦りが生まれた直後。
振り払った筈の手に、先ほどよりも強く掴まれ、側に引き寄せられる。
彼の匂いが側にぐっと近付いて、それだけで心臓の音が大きくなった。
どくどくと少しずつ鼓動が早まって、息が苦しくなる。

「私がいない間…こんな風に、私以外の誰かがきみに触れないと、誰が保証出来るのだ」
「……!?」

言いながら、御剣はぎゅっと抱き締めるように、成歩堂の体に腕を回した。
その手が腰のラインをなぞって、そっと胸板に上がってくる。
ネクタイが緩められて、シャツのボタンが外される。
乱れたシャツの隙間から、彼の手がそっと潜り込んで来た。

「だから、きみを私のものにしておこうと思ったのだ」
「……!」

久し振りに触れる温かい手の感触に、体が強張る。

「い、やだ、御剣…」

成歩堂は震える声で拒絶の言葉を吐き出した。
でも、それは喉の奥に引っ掛かったように力なくて、殆ど意味をなさなかった。
解かっている。これは、ただ意地を張っているだけだ。
簡単になんて許すものか。そう思いたいだけなのだ。
でも、こうして触れられていたら、それだけで何もかもどうでも良くなってしまう。

「は、離せよ…」
「それは、無理と言うものだ…」
「……!」
「成歩堂…。私は、本当にずっと、きみのことばかり考えていたのだから」

気が、可笑しくなりそうなほど。
熱っぽい声色で耳元に囁かれて、成歩堂は小さく息を飲んだ。
ざわ、と肌が興奮で粟立つのを感じた。
信じられないくらいに体温が上がって、何だか胸の奥が苦しいような苦いようなもので溢れて。
上手く息ができなくて、眩暈がする。
足元がぐらりとよろめいて、成歩堂は無意識のうちに御剣の腕にしがみ付いた。



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