曇硝子1




こんな風に一緒に酒を飲むのは、もうこれで何度目だろう。
何杯かグラスを空にして、心地良い酔いが体中に回っている。
火照った頬に手の平を当てると、少し気持ち良い。
と言っても、飲んでいるのは自分だけなのだけど…。
御剣の方から呼び出しておいて、彼は何故か一口も酒に手を出さなかった。
何を考えているのか解からないけれど、自分には関係ない。
もう少しだけ飲もうとグラスに伸ばした手が、不意に不躾な仕草で掴まれた。

「今日はその辺にしておけ」

御剣が、咎めるような目でこちらを見ている。
知らないふりで、そのままグラスに口を付けようとすると、先ほどよりも強く掴まれた。

「大分酔っているな、もう帰ろう。送って行く」
「……!一人で帰れるよ!」

そのまま、無理矢理手を引いて立たせられて、成歩堂は咄嗟に彼の手を振り解いた。

「いいから、来い」
「痛……っ」

ぐい、と痛いほど強く腕を引かれる。
抗う間も無く、店の外に引きずり出されて、彼の車の中に押し込まれてしまった。

「何するんだよ」

素早く反対側の扉から運転席に乗り込んだ御剣に、すぐさま抗議の声を上げる。
でも、彼は眉一つ動かさず、そのまま車を発進させてしまった。

「ちょっと、待てよ!降ろせって!」
「降りたいなら、勝手に降りればいい」
「御剣…っ!」

呼び声を無視して、御剣の車は走る速さを増した。
降りられないと解かっていて、意地の悪い台詞。
暗にこのまま乗っていろと言っているようなものだ。
なのに、怒りの声を上げることが出来ない。
成歩堂は黙り込んでぎゅっと唇を噛み締めた。
以前は、こうじゃなかった。
こんなこと、普通だったら何でもないし、第一御剣がこう言う行動に出ることもなかった。
全部変わったのは、あの時からだ。
酔っていたと言うだけでは説明の付かない行動。
あの時掴まれた手首の痛みとか、首筋に触れた御剣の唇の感触とか、今でも鮮明に思い出してしまって、普通になんて出来るはずない。
でも、表面上は何事もなかったようにしていたかった。
勿論、気にならない訳じゃない。
寧ろ、考え過ぎてどうにかなってしまいそうだ。
それなのに彼は謝ることも弁解することもしないで、こうして成歩堂に接しようとする。
一体何を考えているのか。
今は、もしかしたら問い質す良い機会なのかも知れない。
成歩堂はごくりと喉を鳴らすと、隣でハンドルを握り締めている御剣に目をやった。
長めの前髪から覗く彼の目も表情も、いつもと何も変わらない。
この彼があんなことをしたなんて、未だに信じられないのに…。

「あのさ、御剣…」

どうしても堪えきれなくなって、意を決して呼び掛けると、彼は視線だけをこちらに向けた。
何気ない反応なのに、御剣の目に捕らえられただけで、何故かどきりとする。
動揺を隠すように、成歩堂は思わず顔を伏せた。

「きみは…」

そのまま、独り言のように呟いてみる。

「きみは、何であんなことしたんだ?」
「……」

一瞬だけ、御剣が小さく息を飲むのが聞こえた。
けれど、それ以上言葉は何も返って来なかった。
かなり勇気を出して尋ねてみたのに、求めていた答えがないのは、何だか切ない。
でも、それ以上口を開く気にもならなくて、成歩堂も顔を伏せて黙り込んだ。
聞かなければ良かった。沈黙が気まずい。
早く家に着いてしまえばいい。
ずっとそんなことを考えて俯いていた成歩堂は、やがて、妙な違和感に気付いた。
何かがおかしい。
慌てて顔を上げると、窓の外を流れる景色がいつもと違う。
それもそのはず。
御剣が向かっているのは、成歩堂の家の方向ではなかった。
それに、彼の家の方でもない。
訳の解からない不安が生まれて、成歩堂は焦って声を上げた。

「御剣?」
「……」

でも、彼から答えはない。

「待てって、御剣!どこ、行くんだよ!」

先ほどよりも声を荒げると、御剣からは冷たい声が返って来た。

「黙って乗っていろ」
「……!」

静かな迫力を感じて、思わず口を閉ざす。
有無を言わさない彼の雰囲気と、どんどん家から離れて行く外の景色に、胸中に込み上げた不安がじわじわと大きくなって行く。
それなのに、何故か本気で逃げ出すことはできそうもなかった。



暫くの間、知らない道をひたすら走って、彼はようやく車を止めた。
着いたのは、人気のない真っ暗な場所。
何故こんなところに?
眉を寄せた途端、隣で御剣が動く気配がした。
ハッとして顔を上げると、狭い車内で彼がこちらに覆い被さるように身を寄せるのが見えた。
ただでさえ暗い視界が彼の肢体で遮られて、一瞬真っ暗になる。

「みつ、…んっ!」

戸惑いを感じて開きかけた唇が、直後、ぐっと押し付けられた彼のもので塞がれた。

「ん、ん…っ!」

久し振りの彼の感触。あの時と同じだ。
息も満足に出来ないくらい激しく貪られて、頭の中が混乱する。
潜り込んで来た舌がゆっくりと口内を舐め上げて、逃げる舌を掬って吸い上げる。
もがこうとしても、上手く行かない。
掴まれたままの手首が、ぎり、と力を込められて痛みを小さな訴える。

「や、止めろ!御剣…っ!」

暫くして、ようやく逃れることが出来たけれど、息はすっかり上がってしまって、どくどくと心臓の音が煩い。
大きなフロントのガラスは、二人が吐き出す息の温かさで薄っすらと曇っていた。

「い、いきなり何するんだよ!」
「きみが、あんなことを言うからだ」
「……?」

眉を顰める成歩堂にお構いなく、御剣は更に行為を進めようとする。
再び彼の熱が降って来て、首筋にじわりと濡れた感触がした。

「…ん、っ」

ぞく、と痺れが走って肌が粟立つ。
このままでは、いけない。

必死で顔を逸らして逃れると、成歩堂は声を荒げた。

「御剣、止めろって!さっきの質問に答えろよ!」
「……」
「何で、あんなことしたんだよ…!」

再び彼を引き剥がそうとした手首が、強い力で掴まれた。
そのままぎゅっと力を込められて、びく、と身を震わせる。
続いて、この状況に似つかわしくない、至って穏やかな声がした。

「なら、きみこそ…。何故その私と、こうして一緒にいるのだ」
「……!」
「私が今日誘ったときにも、すぐにやって来たではないか」
「そ、それは…っ」

逆に問い掛けられて、成歩堂はぐっと言葉を飲み込んだ。
答えられない。
言葉が出て来ない。
薄々、気付いてはいるけれど、そんなの、認めたくない。
そう思って、唇を噛んだ直後。

「うわっ!」

いきなり衝撃が来て体が後方に倒れ、成歩堂は驚きの声を上げた。
座席の横に忍び込んだ御剣の手が、レバーを最大限に引いたのだ。
自分の体の重みで後ろに倒れ込み、その上に彼の体が圧し掛かって来た。
ぴたりと重ねられた肢体の重さに、恐怖に似た感情が走る。
逃げ出す隙間もなく目を見開く成歩堂を余所に、御剣は衣服を掻き分けて体中を弄り出した。



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