「旅行、だと?」
「そうだよ、真宵ちゃんが当てたんだ。ペア宿泊券、くじ引きで」
そう言いながら、握り締めていたチケットを差し出すと、御剣は怪訝そうに眉根を寄せてこちらを見返して来た。
「それで…?」
「だ、だから、お前あんまりそんなの行く暇ないんだろ。海外にはしょっちゅう行ってるみたいだけど、それだって仕事だし」
「……」
「こんなことでもなきゃ、ゆっくりなんてしないだろ。だから…これあげるからさ。好きな子でも誘って、行って来いよ」
「何…?」
「お前にだっているんだろ、そう言う子…。昔からモテたもんな」
「……」
言い終えた途端、御剣の眉間には増々深い皺が刻まれた。
黙り込んだまま、見るからに不機嫌そうだ。
(な、何だ…?)
何か、まずいことを言っただろうか。
何だか不穏な彼の様子に、息を飲んで続く言葉を待つ。
暫く沈黙した後、彼は重々しい口調で口を開いた。
「成歩堂」
「な、何?」
「…きみは、どうなのだ」
「は…?」
聞かれた内容があまりに的外れな気がして、思わず目を見開く。
でも、聞き違いではなかったらしい。
成歩堂が黙り込んでいると、彼は急かすように再び声を上げた。
「きみには、そう言う人がいるのかと言っているのだ」
「……え?」
何故、ここでこちらに矛先が向くのか。
全然解からない。
尚も呆気に取られたまま固まっていると、御剣はすうっと目を細めた。
そして、何度か躊躇するような素振りを見せた後、意を決したように口を開いた。
「真宵くん…なのか」
「え……」
ぽつりと呟かれた言葉に、またしても意表を突かれて目を見開く。
一体、どうしたのだろう。
今まで、こんなことを聞いて来たことは、一度だってなかったのに。
今日の彼は、何だかおかしい。
しかも…。
「そう、なのだな…」
そんなことを言って、一人で納得しようとしている。
成歩堂は慌てて否定した。
「い、いやいや、違うよ!真宵ちゃんとはそんなんじゃないって…」
春美ちゃんみたいなこと言うなよ。
そう言うと、彼はホッとしたように短い息を吐き出した。
何だ…?まさか彼は、真宵のことを?
でも、続いて浴びせられる問い掛けに、その予想も違うような気がしてくる。
「…では、他にいると言うのか?」
「べ、別に…今はそんな人いないよ!」
尚も追求されて、成歩堂は少しだけ怒ったように声を荒げた。
「いなくて悪かったな。だいたい、何でぼくの話になるんだよ!きみの相手のことを言ってるのに・・・」
続けて、半ば八つ当たりのようにそう言ったのに。
「…そうか」
御剣は何だか安心したようにそう呟いている。
「では、ありがたく受け取っておく」
そして、成歩堂がずっと差し出していたチケットを快く受け取って、そのまま行ってしまった。
何だったんだろう…。何だか釈然としない。
まぁでも…。受け取ってくれたという事は、きっと、喜んでくれたに違いない。
(相変わらず、素直じゃないなぁ)
暢気な感想を漏らして、成歩堂は軽い溜息を吐き出した。
それから、数日後。
「え?何だって…?」
思ってもみなかった台詞を吐かれて、成歩堂は目を見開いて御剣を見返していた。
彼の整った顔は、裁判のときのように険しくて、とても冗談を言っているようには見えない。
しかも、彼の手にはこの間渡したはずのあのチケットが握られている。
何が何だか理解出来なくて、成歩堂は聞き返すしかなかった。
「悪いけど、もう一度言ってくれるかな」
眉を寄せて問い質すと、御剣は言い難そうに顔を伏せた。
それから、聞き逃しそうなほどに小さな声で呟く。
「その、だから…」
「……?」
「だから…、きみと…行きたいのだよ」
「え……」
行きたいって。
このチケットを差し出していると言うことは、ここへ?
「…ぼ、ぼくと?」
目を丸くして見返すと、御剣は増々気まずそうに目を逸らした。
とても、進んで誘っている人の態度じゃない。
「な、何だよ。もし気を使ってくれてるなら…余計なお世話だからな」
「そうではない!」
そう言うと、今度はムッとしたように顔を上げる。
一体、どうして自分を…?
尋ねようとした声が、御剣の声に重なって掻き消される。
「それで?きみは行くのか行かないのか。どちらだ」
半ば脅すような、低くてドスの効いた声。
「い、行くよ!折角だし」
あまりに迫力のある様子に押し切られて、成歩堂は反射的にこくんと首を縦に振ってしまった。
そうして、当日。
彼の休みに合わせて事務所を閉めて、成歩堂と御剣は二人で旅行に出掛けた。
と言っても…彼はやっぱり何かと忙しいようで、観光なんかしている時間は殆どなかった。
待ち合わせをして合流したら、真っ直ぐにホテルに直行…と言う感じだ。
折角丸一日休みにした意味がないと成歩堂は少し膨れたけれど、まぁ仕方ない。
それにしても、本当に何故彼は自分を誘ってくれたのだろう。
もしかして、行こうとしていた誰かに、直前になってフラれてしまったんだろうか。
フラれる?この御剣が?矢張じゃあるまいし、そんなこと…。
じゃあ一体、なんで。それだけが気になって仕方なかったけれど。
綺麗な部屋と窓から見える絶景と、それから熱い温泉に浸かっているうちに、そんなことはどうでも良くなってしまった。
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