その日の朝。
王泥喜の寝覚めは最低だった。
「う……」
目が覚めると同時に恐ろしい頭痛が襲って来て、どうしようもない吐き気。
胃がムカムカする。
確か昨日の晩、居酒屋で飲んだんだった。
みぬきが珍しく友人の家に泊まって来ると言うので、寂しさのあまり塞ぎ込んでしまった成歩堂の気を晴らそうと、二人で一緒に酒を飲んだ。
いい年して、娘が一晩いないくらいで…と思うけれど、みぬきがいないと、どうもあの人は不安定になるみたいだ。全く、彼に付き合わされるのも、楽じゃない。
それにしても、昨日は何時くらいまで飲んでいたっけ……。何だか、頭が痛いせいか、よく思い出せない。
でも、この天井には見覚えがある。成歩堂なんでも事務所の天井だ。
と言うことは、あまり覚えていないけれど、ちゃんと帰って来れたのか。
何だかんだと、そこまで思い巡らして…。
王泥喜はふと、自分が身動き取れない状況にあることに気付いた。
よくよく注意してみると、今まで枕だと思っていたのは誰かの腕で、頬に当たる柔らかい感触は生温かくて、人の肌のようだ。
(え……?)
何事かと思いつつ、確かめる為に、王泥喜は身を起こそうとした。
けれど、その途端。
「うわっ?!」
絡み付いて来た二の腕に体を引かれ、再びソファに突っ伏す羽目になってしまった。
何だ?一体、何だと言うのだ。
パニックに陥る王泥喜の耳元に、続いて微かな声が聞こえて来た。
「うーん……」
「……?!」
(え……?)
気だるい、寝起きのような声。しかも、何だか……聞き覚えのあるような……。
何だろう、この嫌な予感は。
恐る恐る、本当にゆっくりと首だけ動かして、声のした方を見やる。
そうして。
「……っ?!!」
直後、王泥喜は思わず叫びを上げそうになって、咄嗟に自分の口を手の平でガバリと塞いだ。
な……な、に……?
自分のすぐ隣で、気持ち良さそうに寝息を立てているのは、紛れもなく。
(な……、成歩堂さん……!!)
正真正銘、彼だった。
まぁ、この事務所に出入り出来る人間なんて、彼とみぬきしかいないのだから、それ自体は可笑しなことではない。
でも、何故こんなに密着しているのだ?!
とにかく、このままではいつ彼が目を覚ますとも限らない。
王泥喜は未だ絡み付く成歩堂の腕の中から擦り抜けて、ソファから飛び降りた。
その途端。
「……ぐっ?!!」
腰に物凄い激痛が走り、声にならない叫びが喉から溢れた。
「……っ?!!」
(な、何だ?)
何だと言うのだ、この痛みは!
それに、気付くと自分は見事に上半身裸で、更には下も下着以外付けていない……。
自分には裸で寝る趣味などないし……。
(ま、まさか……?!)
ある仮説が頭の中に浮かんだ。あまり当たって欲しくない仮設だ。
ごく、と生唾を飲み込みながら、王泥喜はまだすやすやと寝息を立てる成歩堂に目をやった。
確認する為に手を伸ばし、恐る恐るそーっと毛布を引っ張って中を覗き。
そうして、ひっと息を飲んだ。
(は……裸?!)
ど、どうして!!
更によく見ると、王泥喜の肌の所々には出来たばかりの痣のような痕がいくつも付いている。
ガン!!と鈍器で頭を殴られたようなショックが王泥喜の頭を襲った。
これは、まさか……。
証拠が揃い過ぎている。二人とも同じベッドに裸で寝ていて、そしてこの腰の痛み、そして痣……。
先ほどよりも恐ろしい疑惑が浮上して来た。
(い、いや、待てよ……)
万が一、と言う事もある。
第一、成歩堂がそんなこと、するだろうか。きっと、何かの間違いだ。
そうだ、取り敢えず服を……。そう思って、衣服に手を伸ばした時。
「う……ん……」
不意にベッドの上で成歩堂の呻き声がした。
慌ててそちらに目をやると、彼はもそもそと毛布の中で蠢いている。
(わぁぁぁ!!まだ、まだ起きないで下さい!成歩堂さん!!)
そんな必死の願いも空しく、二、三度の瞬きの後、成歩堂はぱちりとその目を開いた。
「ん……?」
そうして、むくっと起き上がると、視線をこちらに向けた。
「……っ!」
「あれ、オドロキくん……」
「あっ、あ、あの……」
「おはよう、よく眠れたかい?」
「……っ」
愛想の良い彼の挨拶に、王泥喜は酷く狼狽してしまった。
この……何事もなかったような態度は何だろう?
何故…慌てもせずに落ち着き払っているのだろうか……。
やはり、成歩堂にとって、この状況は何ら驚くべきことではないと……?
「オドロキくん?」
「なっ……、あっ……、こっ……」
何故あなたとこんなことに、と言おうとしたけれど、言葉にならない。
既に顔面蒼白な王泥喜を見つめ、成歩堂は不思議そうに首を傾げてみせた。
「……どうしたんだい、オドロキくん」
「いえっ……あの……」
「……ん?」
「きっ、昨日は……っ!」
「ああ、覚えてないのか?きみは酷く酔っ払ってしまって、ぼくがここまで運んで来たんだよ」
「そ、そうですか……」
(い、いやいや)
そんなことは一目瞭然だ。
聞きたいのはそんなことではなくて……。
「あの、俺……昨日のこと、よく覚えてないんですけど……その、何て言うか……」
「……?」
「だから、ええと…何か仕出かしたり、とか…」
「ああ!」
そこまで言って、ようやくこちらの言わんとしていることに気付いたのか、成歩堂はポンと手を叩いた。
「まぁ、ちょっと……ね。知らなかったよ。きみにあんな意外な一面があるなんて」
「いっ……」
意外な一面とは?!
「今まで、結構しっかりしていると思っていたし、びしっとしてる姿しか見たことがなかったから……。きみがまさか、あんなに乱れるなんて……ね」
「みっ、乱れる?!」
(一体!!何をやったんだ俺は!!)
「でも、きみがあんな風になってしまったのは、ぼくのせいと言えばぼくのせいだから……」
「え?!」
「ちゃんと責任取るよ、オドロキくん」
「せ、責任……?」
責任……。責任、とは……?
1.自分のした事の結果について責めを負うこと。
2.立場上当然負わなければならない任務や義務。
この場合、恐らく当てはまるのは1だろう。
(と、言うことは……)
こんな如何わしい事態になった責任を取ると言えば、一つしかないではないか。
もしや。まさか。
け……結、婚……?!
パニックのあまりまともに思考が働くなった王泥喜の頭の中には、その二文字が物凄い衝撃と共に圧し掛かって来た。
同時に、方々からリンゴーンと厳かな鐘の鳴り響いたようで、眩暈を覚える。
「だからさ、オドロキくん、ぼく……」
ま、待った!!
そ、それ以上は……!!
遂に居た堪れなくなり、王泥喜は一歩後ずさりながら、首を激しく左右に振って叫んだ。
「そんなこと!!うっ、嘘ですっっ!!」
「オドロキくん?」
驚いた成歩堂が目を見開いて呼び掛ける声にも耳を貸さず、王泥喜はその辺にあった衣服を引っ掴むと、猛烈な勢いで部屋を飛び出して行った。
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