白い夢の終わり1




「久し振りね、おじさま」

どこかで聞いたことのあるような声。
それが突然背後から聞こえて、成歩堂は勢い良く振り向いた。
双眸に映し出されたのは、同じく…どこかで見たことのあるような少女。
妙な和装に、少し変わった形に結った髪の毛。
幼いながらも、不思議な魅力のある可愛らしい顔立ち。

(春美ちゃん…じゃない…)

「きみは……」

記憶の糸を辿ってみると、何故か頭がずきっと痛んだ。

それに、ここはどこだろう。
辺りは霧が掛かったように真っ白で、少女の姿以外、殆ど見えない。
でも、よく目を凝らすと、古びた橋の入り口が見えた。
あれは、おぼろ橋だ。
いつの間にここへ来たんだろう。
呆然としたまま辺りを見回す成歩堂にお構いなく、少女はあどけなく笑いながら口を開いた。

「また会えるなんて思ってなかったわ」
「え、あ……」
「もう来ないでって言ったのに。いけない人ね、おじさま」
「きみ…は?」

どこかで会ったことがある。それは解かるけれど…。
考え込むように首を傾げると、少女はその小さな眉を顰めた。

「もしかして、覚えてないの?」
「ご、ごめん!そんなことないんだ!」

不服そうな表情に、慌てて声を荒げる。
けれど、頭がぼんやりしていて、上手く思考が纏まらない。

「でも…何だか…」

何か、大切なことを忘れているような…。
成歩堂が語尾を濁すと、少女は手を後ろに組んで、下からじっと覗き込んで来た。

「この前会った時にね、おじさま、わたしにはっきり言ったのよ。何でもわたしの言う通りにするって」
「え、え…?そう、だった?」
「そうよ、おじさま」

そう言えば、そんなことを言ったような気もする。
でも、“何でも”なんて、言っただろうか。
怪訝そうな表情が顔に出ていたのだろうか。
戸惑う自分に、彼女はくすくすと声を上げて笑った。

「ね、わたしのお願い、聞いて下さるでしょう?」
「え、あ…ああ」

曖昧な返事を返しながらも、何だか妙な違和感を感じた。
今日の彼女は、とてもよく笑う。
以前は、そんなことなかったような気がする。
いつも笑っていればいいのに、と思った記憶はある。
でも、何だろう。
天使のように愛らく完璧過ぎる笑みなのに、何故かしっくり来ない。
何かが腑に落ちない。
そこまで思い巡らして、少女に名前を尋ねたことを思い出した。
でも、その答えは覚えていない。

「そうだ、ええと…きみの名前は…?」
「……」

そう聞いても、少女はすぐには口を開かず、何事か考え込むように、大きな二つの目でじっとこちらを見上げて来た。

(な、何だ…?)

「……きみ?」

不審に思って声を上げると、彼女は突然こちらに歩を進め、成歩堂の腕を両手で絡め取った。

「ねぇ、街へ連れて行って!」
「ええ…?!」
「大丈夫、誰にも怒られたりしないから。ね!」
「け、けど…」
「そうしたら教えてあげる!わたしの名前!」
「あ、ちょっと!」

少しはしゃいだようにそう言うと、成歩堂の手を掴んで、ぐいぐいと引っ張りながら走り出す。
思ったよりも強い力に引かれてバランスを崩しながら、成歩堂は諦めたように溜息を吐いた。



「大丈夫?疲れてない?」
「大丈夫よ、おじさま」

一緒に歩きながら振り返って言葉を掛けると、少女は綺麗な笑顔を浮かべて頷いた。

「…お兄さん、なんだけどね、まだ」

溜息混じりにそう言うと、彼女は何だか楽しそうに笑った。

この子の要望通り、人が沢山いて賑やかで、お店が沢山ある街。
そこに辿り着くと、彼女は嬉しそうにして、終始弾んだように足を進めていた。
その様子に何だかホッとしながらも、こんなことをして良いものか、と言う不安も勿論ある。
勝手に連れて来たりして、本当なら誘拐犯だ。
なるべく早く帰らなくては。
はぁ、と溜息を吐いて、成歩堂はギザギザの頭を掻いた。
やがて、スキップをするように軽やかだった軽快な足音がぴたりと止んだ。

「……?」

どうかしたのかと振り向くと、少女は大きなデパートのショーウィンドーの前で立ち止まって、中にディスプレイされている商品をじーっと見詰めていた。

(何を見てるんだ?)

何歩か戻って一緒に覗き込むと、可愛らしいスカートやコートが何着も飾ってあるのが見える。

「こう言うの、好きなのかい?」

尋ねると、こくんと首を縦に振る。

「わたし、こんなの着たことない」
「そうなんだ・・・。その和服もいいけど…こう言う方が似合いそうなのに」

本当に、彼女にはよく似合いそうだ。
例えば…真っ白なノースリーブのワンピースを着て、少しヒールの高いサンダルを履いて、そしてレースのついた日傘なんか差して…。
華奢な白い肩に、折れそうなほど細い二の腕。
そして、誰もが惑わされる、天使のような優しい微笑み…。

「……っ」

そこで眩暈と共に頭が強く痛んで、成歩堂は咄嗟に額を押さえた。

(何だ…?今の…)

何を考えているのだろうか。
今のイメージ、確かに知っている。
でも、この小さな女の子とは結び付かない。
気を取り直して少女に目をやると、彼女はこちらの異変に気付きもしないほど、服に夢中になっていた。

「本当に、わたしに似合うかしら」
「ああ、うん。似合うよ、きっと」
「じゃあ…買って!おじさま」
「ええ……?!」

突然の要望に、引っくり返ったような声が出る。
まさか、そう来るとは思わなかった。
年は同じくらいだけど、春美だったら、絶対に言わない。
いやでも、春美が特別なのだろうか。

「い、いや、それは…」

それはちょっと…。
成歩堂が渋った途端、目の前の少女からみるみる笑顔が消えた。
春の花のようだった可憐な笑顔が一変して、絶望のどん底に突き落とされたような表情になる。
彼女は俯いて、小さな手の平で目元を押さえた。

「おじさまが、似合うって言うから…わたし…」
「わぁ!ご、ごめん!泣かないで!」

勝手に連れ出した上に泣かせてしまっただなんて、ますます不味い。
慌ててフォローすると、彼女は今までの様子が嘘のように、パッと顔を上げた。

「じゃあ、買って下さる?」
「……」

やられた。嘘泣きだったのだ。
彼女の演技力に感服しつつも、成歩堂は深い溜息を吐いた。
でも、実際自分では覚えていないけれど、何でも言う事を聞くと言ったらしいし、仕方ない。
ここまで来れば、乗りかかった船、と言うヤツだ。
とことん、願いを聞いて上げよう。
そう思って、成歩堂は観念したように頷いた。

「解かったよ。買ってあげる。でも、これはきみのサイズに合わないから、子供服が売ってるとこに行こう」
「ありがとう、おじさま」

そんなこんなで。
子供服売り場まで行って、少女が選んだ服を買って、靴売り場で靴も買って、着替えさせて。
全てが終る頃には、物凄く疲れてしまった。
真宵や春美の買い物に付き合ったことがあるので、慣れてはいるけれど、やはり疲れるものだ。
でも。

「ねぇ、変じゃない?」

洋服売り場の大きな鏡の前で何度もくるくると回っている姿を見ると、そんなものは吹き飛んでしまうような気もする。
彼女が選んだのは、白いワンピースだった。
眩しいくらい真っ白で、薄いピンクのレースが裾や胸元に付いている。
選んだ靴には大きな蝶をモチーフにした飾りが付いていた。
和服に合わせて結っていた髪を解くと、髪の毛は肩まであった。
どれもこれも、変、なんてものじゃない。
あまりに似合い過ぎて、全て彼女の為に用意された服みたいだ。

「大丈夫。凄く似合ってるよ」
「ありがとう、おじさま。嬉しいわ、とても」
「そっか、良かった…」

成歩堂が頷くと、彼女はまた天使のような微笑を浮かべた。



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