早朝、携帯電話のアラームが鳴り響いて、王泥喜は目が覚めた。
今日も色々と忙しい一日が始まる。
まずは事務所の中を軽く掃除して、その後発声練習をして。
当番だから朝食の支度も済ませなくては。
きっと、その頃にはみぬきも起きて来る筈だ。
成歩堂はまたふらりとどこかへ行っているのか、布団の中は空っぽだった。
(朝は二人分で良い訳か…)
頭の中で一日の予定を組み立てていた王泥喜は、隣の部屋に入った途端、思わず自分の目を疑った。
(…あれ?)
事務所の様子が、いつもと違う。
普段は物が溢れかえって雑然としている部屋が、きちんと整理されていて、床も窓もぴかぴかに磨かれている。
埃一つなくて眩しいくらいだ。
一体、何事?
昨日の夜、最後に自分が寝たときは、こんなんじゃなかったのに。
まさか、泥棒が入ったとか?
いや、掃除までして行ってくれる泥棒なんて、おかしい。
じゃあ、何だろう。
色々考えても解からなくて、眉を顰めた王泥喜だったけれど…。
(……ん?)
ややして、観葉植物の前に屈みこんでいる人影に気付いて、大きく目を見開いた。
あのチャーリーと言う名前の植物の葉を、一枚一枚手に取って丁寧に拭いているのは、紛れもなく。
「な、成歩堂さん?!何しているんですか!?」
「やあ、オドロキくん、おはよう」
「お、おはようございます」
「今日、ちょっとお客さんが来るからさ、掃除しておかなきゃと思ってね」
「そ、そうなんですか…」
相槌を打ちながらも、王泥喜は殆ど上の空だった。
あの成歩堂が…。
あの、他人のためにも自分のためにもあんまり動きたがらない成歩堂が。
朝は必ず最後に起きて来て、夜は最初に寝る成歩堂が。
自ら率先して、早朝から事務所をぴかぴかにするなんて、普段だったらあり得ない。
それに、部屋だけではなく、トイレの中もバスルームの中も、本当に隅から隅まで綺麗だ。
いくらお客さんだからって、成歩堂にここまでさせる人って、一体誰だろう。
「あの、成歩堂さん…お客さんて…」
「あ、ちょっと外も掃除しに行って来るよ」
「あ、はい…」
尋ねようとした王泥喜の言葉は、少し弾んだような成歩堂の声に遮られてしまった。
何となくタイミングを逃してしまって、改めて聞き出すことが出来ないまま。
それからも成歩堂はいそいそと掃除を続け、王泥喜も釣られてあちこちをぴかぴかに磨いてしまった。
そうこうしている内に、どんどん時間が過ぎて、正午過ぎになった頃。
ようやく、待ち侘びていた客人が成歩堂事務所に姿を現した。
「ごめん下さい、お邪魔致します」
「……!」
可愛らしい声と丁寧な口調には、明らかに聞き覚えがある。
(この声は…)
慌てて振り向いた王泥喜の目の前には、少し前にこの事務所にやって来たあの少女が立っていた。
相変わらずの妙な和装に、変わった髪の結い方に、大きな目。
「は、春美ちゃん!」
王泥喜が呼び声を上げると、彼女は少し照れたように笑顔を浮かべてみせた。
「お久し振りです、王泥喜さま。相変わらず、とてもご立派なツノでございますね」
「あ、ありがとう」
「その節は、みっともないところをお見せして…」
「い、いえ。だ、大丈夫です…!」
「本当に、本当に申し訳ありません」
「い、いえ・…」
目の前でかしこまる春美に愛想良く対応しながらも、王泥喜は半ば上の空だった。
お客さんて、春美だったのか。
これは、予想していなかった。
じゃあ成歩堂は、春美の為にあんなに一生懸命。
そんなことを考えいてると、成歩堂も事務所の奥から顔を出した。
「春美ちゃん、よく来てくれたね」
「なるほどくん!」
挨拶もそこそこに、春美は勢い良く成歩堂の側に駆け寄る。
こんなに和やかな雰囲気だと言う事は、あのときちゃんと仲直りしたんだろう。
今日は、口が裂けても女の子の名前を出したりしないようにしなければ。
それだけは、肝に命じよう。
王泥喜は胸中で固い決意を交わして、既に楽しそうに会話している二人をじっと見詰めた。
それにしても…。
成歩堂が、春美の為にここまでするなんて。
やっぱり、彼は彼女をとても大切に思っているに違いない。
茜とみぬきのことを思うと、少し切ない気持ちになるけれど、何だか嬉しくもあるような…。
そんな感じで、いつものように感傷に浸っている王泥喜を余所に、二人の会話はどんどん弾んでいた。
「今日は泊まっていけるんだよね、春美ちゃん」
「はい!宜しくお願いします、なるほどくん!わたくし、精一杯頑張らせて頂きます!」
(え……?)
その言葉に、思わずどきりとする。
泊まる…?
それは聞いていなかった。
四人でここに泊まるには、少し狭いのではないか。
「あの、成歩堂さん。布団とか、場所とか、大丈夫なんですか?」
「ああ、そうだなぁ…」
心配そうに尋ねると、成歩堂は今その事実に気付いたように、パーカーのポケットに突っ込んだ手を取り出して顎に当てた。
そっか、もう春美ちゃんは子供じゃないんだよなぁ。
彼はぼそりとそんなことを呟いていたけれど、王泥喜の耳には届かなかった。
ともかく、二人の邪魔はしたくない。
少し考えて、王泥喜は勢い良く口を開いた。
「あの!俺、今日は牙琉検事の家に泊めて貰いますから。だから大丈夫です!」
「まぁ、そんな…。それでしたら、わたくしが…」
「い、いやいや、春美ちゃんはお客様だから」
春美がここを出てしまっては意味がない。
それに、そんなこと成歩堂が許す訳ないだろうし。
「ですが…それではオドロキさまに申し訳が…」
「いえ!本当に全然、大丈夫です!」
「そ、そうですか…。では、お言葉に甘えて…」
必死に言い切って見せると、やがて春美は心底申し訳なさそうに頷いた。
NEXT