Strangers1




早朝、携帯電話のアラームが鳴り響いて、王泥喜は目が覚めた。
今日も色々と忙しい一日が始まる。
まずは事務所の中を軽く掃除して、その後発声練習をして。
当番だから朝食の支度も済ませなくては。
きっと、その頃にはみぬきも起きて来る筈だ。
成歩堂はまたふらりとどこかへ行っているのか、布団の中は空っぽだった。

(朝は二人分で良い訳か…)

頭の中で一日の予定を組み立てていた王泥喜は、隣の部屋に入った途端、思わず自分の目を疑った。

(…あれ?)

事務所の様子が、いつもと違う。
普段は物が溢れかえって雑然としている部屋が、きちんと整理されていて、床も窓もぴかぴかに磨かれている。
埃一つなくて眩しいくらいだ。
一体、何事?
昨日の夜、最後に自分が寝たときは、こんなんじゃなかったのに。
まさか、泥棒が入ったとか?
いや、掃除までして行ってくれる泥棒なんて、おかしい。
じゃあ、何だろう。
色々考えても解からなくて、眉を顰めた王泥喜だったけれど…。

(……ん?)

ややして、観葉植物の前に屈みこんでいる人影に気付いて、大きく目を見開いた。
あのチャーリーと言う名前の植物の葉を、一枚一枚手に取って丁寧に拭いているのは、紛れもなく。

「な、成歩堂さん?!何しているんですか!?」
「やあ、オドロキくん、おはよう」
「お、おはようございます」
「今日、ちょっとお客さんが来るからさ、掃除しておかなきゃと思ってね」
「そ、そうなんですか…」

相槌を打ちながらも、王泥喜は殆ど上の空だった。
あの成歩堂が…。
あの、他人のためにも自分のためにもあんまり動きたがらない成歩堂が。
朝は必ず最後に起きて来て、夜は最初に寝る成歩堂が。
自ら率先して、早朝から事務所をぴかぴかにするなんて、普段だったらあり得ない。
それに、部屋だけではなく、トイレの中もバスルームの中も、本当に隅から隅まで綺麗だ。
いくらお客さんだからって、成歩堂にここまでさせる人って、一体誰だろう。

「あの、成歩堂さん…お客さんて…」
「あ、ちょっと外も掃除しに行って来るよ」
「あ、はい…」

尋ねようとした王泥喜の言葉は、少し弾んだような成歩堂の声に遮られてしまった。
何となくタイミングを逃してしまって、改めて聞き出すことが出来ないまま。
それからも成歩堂はいそいそと掃除を続け、王泥喜も釣られてあちこちをぴかぴかに磨いてしまった。



そうこうしている内に、どんどん時間が過ぎて、正午過ぎになった頃。
ようやく、待ち侘びていた客人が成歩堂事務所に姿を現した。

「ごめん下さい、お邪魔致します」
「……!」

可愛らしい声と丁寧な口調には、明らかに聞き覚えがある。

(この声は…)

慌てて振り向いた王泥喜の目の前には、少し前にこの事務所にやって来たあの少女が立っていた。
相変わらずの妙な和装に、変わった髪の結い方に、大きな目。

「は、春美ちゃん!」

王泥喜が呼び声を上げると、彼女は少し照れたように笑顔を浮かべてみせた。

「お久し振りです、王泥喜さま。相変わらず、とてもご立派なツノでございますね」
「あ、ありがとう」
「その節は、みっともないところをお見せして…」
「い、いえ。だ、大丈夫です…!」
「本当に、本当に申し訳ありません」
「い、いえ・…」

目の前でかしこまる春美に愛想良く対応しながらも、王泥喜は半ば上の空だった。
お客さんて、春美だったのか。
これは、予想していなかった。
じゃあ成歩堂は、春美の為にあんなに一生懸命。
そんなことを考えいてると、成歩堂も事務所の奥から顔を出した。

「春美ちゃん、よく来てくれたね」
「なるほどくん!」

挨拶もそこそこに、春美は勢い良く成歩堂の側に駆け寄る。
こんなに和やかな雰囲気だと言う事は、あのときちゃんと仲直りしたんだろう。
今日は、口が裂けても女の子の名前を出したりしないようにしなければ。
それだけは、肝に命じよう。
王泥喜は胸中で固い決意を交わして、既に楽しそうに会話している二人をじっと見詰めた。
それにしても…。
成歩堂が、春美の為にここまでするなんて。
やっぱり、彼は彼女をとても大切に思っているに違いない。
茜とみぬきのことを思うと、少し切ない気持ちになるけれど、何だか嬉しくもあるような…。
そんな感じで、いつものように感傷に浸っている王泥喜を余所に、二人の会話はどんどん弾んでいた。

「今日は泊まっていけるんだよね、春美ちゃん」
「はい!宜しくお願いします、なるほどくん!わたくし、精一杯頑張らせて頂きます!」

(え……?)

その言葉に、思わずどきりとする。
泊まる…?
それは聞いていなかった。
四人でここに泊まるには、少し狭いのではないか。

「あの、成歩堂さん。布団とか、場所とか、大丈夫なんですか?」
「ああ、そうだなぁ…」

心配そうに尋ねると、成歩堂は今その事実に気付いたように、パーカーのポケットに突っ込んだ手を取り出して顎に当てた。
そっか、もう春美ちゃんは子供じゃないんだよなぁ。
彼はぼそりとそんなことを呟いていたけれど、王泥喜の耳には届かなかった。
ともかく、二人の邪魔はしたくない。
少し考えて、王泥喜は勢い良く口を開いた。

「あの!俺、今日は牙琉検事の家に泊めて貰いますから。だから大丈夫です!」
「まぁ、そんな…。それでしたら、わたくしが…」
「い、いやいや、春美ちゃんはお客様だから」

春美がここを出てしまっては意味がない。
それに、そんなこと成歩堂が許す訳ないだろうし。

「ですが…それではオドロキさまに申し訳が…」
「いえ!本当に全然、大丈夫です!」
「そ、そうですか…。では、お言葉に甘えて…」

必死に言い切って見せると、やがて春美は心底申し訳なさそうに頷いた。



NEXT