「あ……」
事務所内でばったり鉢合わせた人物と目が合って、王泥喜はしまったと言うように息を飲んだ。
その人物とは、勿論、成歩堂龍一。
あの後、王泥喜は極力彼と顔を合わせないようにしていた。
同じ事務所にいながらそうするのは、本来なら難しいことなのだけど。
元々成歩堂があまり帰って来ないからか、こうして真正面から顔を合わせるのは本当に数日ぶりだった。
それに、あの後は本当に大変だったのだ。
いつどこでどうしていても、あの時の成歩堂の誘うような目とか、頬に少しだけ触れた指の感触を思い出してしまって、いても立ってもいられなくなる。
早く忘れてしまわなくてはと思う反面、何とかして一矢報いてやりたいと思う気持ちもあって、落ち着かない。
全部、この目の前の人のせいで。
思い出すと、やっぱりまだムカムカする。
彼を見詰める目が、無意識にきつくなっていたのだろうか。
成歩堂は一息吐くと、ふっと顔を緩めた。
「まだ怒っているのかい?オドロキくん」
「……!い、いえ……」
何だかなだめるような口調に、思い切り顔を逸らしながら答える。
これでは、怒ってますと言ってるようなものだけど。
許して隙を与えたら、またどうやってからかわれるか解からない。
でも、こんな風にあからさまに膨れていては、それこそ子供みたいだ。
ここは、上辺だけでも、大人の対応を!
成歩堂に見えないようにそっと深呼吸して、王泥喜は口を開いた。
「今、お茶淹れますから。そこ、座ってて下さい」
「ああ、そうだね。ありがとう」
「……」
物凄い笑顔でそう言われて、思わずドキっとする。
この人の笑顔やら何やらは、何でこんなに心臓に悪いんだろう。
それに、こうやって笑いかけてくれるのも、実に数日ぶりだ。
いや、でも。こんなことでほだされたりしない。
いい大人があんな風にからかわれるのは、結構恥ずかしいものなんだから。
王泥喜は少し乱暴な手つきでカップに紅茶を注ぐと、ソファに座っていた成歩堂の前に置いた。
「ありがとう、オドロキくん」
「い、いえ」
あらぬ方向を見ながら返事をする。
このままじゃ、まずい。
でも、今更、どうやって顔を見て良いか解からない。
そう思いながら、尚も視線を合わせないようにしていたら、ややして彼が穏やかな声を上げた。
「オドロキくん」
「なっ、なんですか?」
「そんなに身構えないで欲しいなぁ、もう何もしないよ」
「……!」
本当に少し困ったような成歩堂の言葉に、短く息を飲む。
「あ、当たり前です、そんなこと」
咄嗟に強い口調で返したものの。
何だか解からないけれど、胸の中がずきっと痛んだ気がした。
―もう、何もしないよ。
まるで、成歩堂のこの言葉が突き刺さったみたいに。
何だ、この気持ちは。
何だか、面白くない。
そう思ったら、何か考えるより早く、勝手に声が上がっていた。
「そ、そんなことより、俺とこうして二人でいたりして、いいんですか?」
「……?どう言う意味だい?」
「色々と、手が早いんでしょう、俺は。何かあっても、責任取れませんよ」
「ははは、それは楽しみだね」
少し挑発するような台詞も、あっさりと流されてしまって、ぐっと息を飲む。
こんなんじゃ駄目だ。
彼を動揺させるには、もっと真剣にならなくては。
「お、俺、本気ですから!」
「ああ、解かってるよ。オドロキくん」
解かってる。
そう言いながらも、彼はあくまで余裕な態度を崩さない。
成歩堂にああやってされた後、自分がどれだけ掻き乱されたのか解からないのに。
何で。何で、自分ばっかり。
何だかとてつもなく悔しくなってしまって、王泥喜はぐっと拳を握り締めた。
彼だって、もっと、王泥喜のことで動揺したり困ったりすればいい。
「俺が本気だって、本当に解かってるんですよね」
「……勿論だよ」
「じゃあ……」
言いながら、王泥喜はぐっと成歩堂に身を寄せた。
「これくらい……何でもないですよね」
徐に手を伸ばして彼の腕を掴むと、ソファに押し付けるように押さえ込む。
こんなことして、いいんだろうか。
何をしているんだろう。
少しだけそう思ったけど、もう引き返すなんて出来る訳ない。
ごく、と喉を鳴らすと、王泥喜は真っ向から彼に向き直った。
「成歩堂さん」
少し怒ったような声が出てしまうのは、緊張してるからだ。
それを隠そうと必死になっているから。
動揺を誤魔化すよう、ぎゅっと、手首を掴む手に力を込める。
でも当然、彼はこんなことで動揺してくれるはずもなく。
相変わらず余裕たっぷりな顔を見た途端、頭の奥で何かが切れてしまった。
もう、こうなったらどうなってもいい。
なるように、なれだ。
王泥喜は半ばヤケになって成歩堂の側に顔を寄せ、思い切りその唇を塞いだ。
ぐっと押し付けるように触れた場所から、彼の温度が直に伝わって来る。
一切抵抗のない成歩堂の唇は、温かくて柔らかい。
それに、心地良い。
ドキドキと鼓動が煩くなって、息苦しいほどなのに。
彼を驚かせようと思っていたことも忘れて、王泥喜はその感触に夢中になってしまった。
どのくらいの時間触れていたのかは、よく覚えていない。
ややして唇を離すと、そこでハッと我に返った。
(あ……っ)
しまった。
いくら何でも、こんなことするなんて…。
相手が成歩堂でも、流石にこれは…。
どうしたら良いだろう。
血の気が引くような思いの中、何とか取り繕うとした、その時。
「これだけで終りかい?オドロキくん」
「……!!」
不意に、成歩堂が嘲るような口調でそう言った。
挑発するような台詞に、カッと頭に血が昇る。
「バ、バカにしないで下さい!」
一瞬で込み上げた怒りと焦燥に煽られるまま、力の抜け掛かっていた指先に力を込めて、強く腕を掴み直す。
そうして、彼の体を乱暴にソファの上に押し倒した。
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