声も呼吸も全部塞いで、無我夢中で口内に舌を捩じ込む。
勢い余って、どちらかの唇を切ってしまったのか、絡めた舌先には血の味が染み込んだ。
やがて、苦しそうに上がる成歩堂の声に、少し頭の奥が正気に戻って来る。
きつく襟首を押さえたままだったことに気付き、王泥喜は慌てて力を緩めた。
同時に、成歩堂の体からも力が抜ける。
自分に凭れるように寄り掛かって来た体を受け止めて、王泥喜はぎゅっと彼の背に腕を回した。
一度舌を引き抜き、彼の唇に柔らかく噛み付くと、柔らかい唇の感触に、頭の奥が軽く痺れたような気がした。
でも。
キスを深くする為、彼の髪を握り締めようとして、ハッとする。
掌に伝わる、濡れた髪の毛の感触。
王泥喜は一度唇を離して、少し荒い息を吐く成歩堂をきつい眼差しで見上げた。
乱れた呼吸に、お互いの唾液で濡れた唇。
成歩堂の乱れた様子は、王泥喜の背筋にぞくりと痺れを走らせたけれど、首を振って欲求を振り払った。
確かめないと…。
「どうして…嫌がらないんですか?」
「……」
「このままじゃ、何するか、解からないです…俺…」
何だか泣きそうな声が出て、自分でも驚いた。
成歩堂の衣服を掴んだ手が小さく震えた。
無茶苦茶なのは解かっている。
彼にこんなこと言っても、どうにもならない。
早く、止めろと言って、自分を窘めて欲しい。
そうしたら…、今ならきっと、謝って、何もなかったことに出来る。
そんなことを願いながら、王泥喜は成歩堂の反応を待った。
そして、暫くの間の後。
「構わないよ、オドロキくん。きみなら…」
「……!!」
返って来た答えに、王泥喜は自分が絶望しているのが解かった。
せめて、牙琉検事が見かけた誰かが、彼の恋人だとか、大事な人だとか。
それなら良かったのに。
それなら、自分がふられても、思い出は残ったのに。
王泥喜のことも受け入れられるなら、裏切っても構わない、ただそれだけの相手だと言うことだ。
自分だけじゃない。
誰にでも、こうされたら…受け入れてしまうんだろうか。
「そう、ですか…」
気が抜けたように呟くと同時に、何かがぷつりと音を立てて切れたような気がした。
直後、王泥喜は成歩堂の手を乱暴に引いて、事務所を飛び出した。
かなり強引にぐいぐいと引き摺るように歩き続けて、一番近くにあったホテルに入って、部屋の中に押し込めた。
終始会話を交すことはなかったけれど、それで良かった。
熱に蕩けた頭のままでいたかったから。
王泥喜は夢中で成歩堂をベッドに押し倒して、その上に乗り掛かった。
どんな表情をしているのかは、見えない。
ただ…。
「オドロキくん…」
成歩堂の唇が、何か言い掛けたのを見て、王泥喜は咄嗟に彼の口を掌で塞いだ。
拒絶であれ肯定であれ、今は何も聞きたくなんてない。
夢中で、側にあったタオルを手繰り寄せて、それを彼の口内に押し込んだ。
「ん…っ、ん、ぐ…」
成歩堂はかなり驚いたようで、呻き声は切羽詰ったものだった。
けれど、それすらもう、何も感慨を齎すものじゃない。
捲り上げたパーカーを両腕に巻きつけて、自由を奪った。
そんなことをしなくても、彼は逃げ出さなかったかも知れないけど。
何だか、訳もなく怖かったのかも知れない。
顔を寄せて首筋に唇を寄せると、彼からは仄かに甘い石鹸のような香りがした。
怒りに似た衝動で、カァっと頭に血が昇るのが解かる。
良い匂いのするその首筋を、王泥喜は痕がつくほどきつく吸い上げた。
真っ暗なままだったので、手探りでベッドの横のスイッチを探すと、一番最初に触れたものを押す。
少し離れた浴室の方の明かりがつき、部屋の中はぼうっと明るくなった。
成歩堂の体が、明かりの中に薄く浮き上がって見える。
衣服が乱れて、自由を奪われて、その上で小さくもがく彼の様子は、堪えていたものを膨れ上がらせるのに、十分だった。
「んっ…ん!」
指先を奥へと進める度、成歩堂の体がベッドの上で跳ね上がる。
部屋にあった潤滑油のようなものを駆使して、王泥喜はその場所を少しずつ解して行った。
二本目の指先が侵入する頃には、彼から上がる呻きは苦しげなものだけではなくなっていた。
甘さを含んだ、艶っぽい声。
それは王泥喜の頭の奥を蕩けさせたけれど、同時に胸の中を苦いもので満たした。
ついさっき、他の誰かも、こうして彼の声を聞いたかも知れない。
そう思うと、何だか堪らなくなってしまった。
「ぐ…ッ、んん…!」
少しずつ身を進めると、喉の奥で声が上がった。
びく、と引き攣る彼の両足が、ベッドの上で泳ぐようにもがいて、シーツをぐちゃぐちゃにした。
部屋の中は纏わり付くように湿った空気が溢れていて、何だか酷く不快だ。
(あ…クーラー、つけ忘れて…)
頭の何処かで、場違いにそんなことを考える。
何しているんだろう。
少なくとも、したかったのは、こんなことじゃない。
それに、これで、何もかも滅茶苦茶だ。
もう、顔を合わせることなんか、出来ない。
でも、これでいい…。
「んん・…、っ…!」
そう言い聞かせても、彼を突き上げながら、何故か目の奥が熱くなって、幾つも幾つも涙が落ちた。
透明な雫が滴り落ちて、成歩堂の頬が濡れる。
目の前の景色が、ぼやけた硝子の中の世界のように見えて、全部滅茶苦茶に壊してしまいたかった。
思えば…弁護士を続けるのは、何も成歩堂事務所じゃなくていい。
それに、最初から解かっていた。
みぬきには成歩堂が、成歩堂にはみぬきがいる。
彼の足の怪我だって、もうとっくに治っているのだ。
(俺がいなくても、もう、大丈夫なんだよな)
ぐったりとしたように眠ってしまった成歩堂を置いて、翌朝まだ薄暗い内に部屋を出て、そんなことばかり考えていた。
事務所に戻ると、ソファにはみぬきが小さな寝息を立てて眠っていた。
きっと、帰って来たら誰もいなくて、心配で帰りを待っていたに違いない。
彼女を起こさないように、王泥喜はそっとデスクの引き出しを開けて、メモとペンを取り出した。
言いたいことは沢山あったけれど、言葉が何も出て来なかった。
今まで世話になったとか、突然辞めるなんてすまないとか、数行だけ簡素な文を書くと、王泥喜はそれを折り畳んで封筒に入れ、デスクの上に置いた。
「ごめん…」
無邪気な寝顔を見て、そっとみぬきの髪の毛を撫で、それから事務所を出た。
今までのことは、楽しい夢でも見てたと思えばいい。
とぼとぼと力なく歩いて、角を曲がったところで、遠くからバタバタと慌しい足音が聞こえ出した。
続いて、自分を呼ぶ声が聞えて、ぎくりとした。
「オドロキさん!!」
「……!」
振り向くと、さっきまで確かに眠っていたはずのみぬきが、息を切らしながら走って来た。
「オドロキさん、待って!!」
「みぬきちゃん、何で…」
「何ではこっちです!辞めるなんて、本気なんですか!」
みぬきは声を荒げて、さっき王泥喜が置いて来た封筒を目の前に突き付けた。
「うん、本気だよ。ごめん…」
「どうして!みぬきとパパのこと、嫌いになっちゃったんですか?!」
「ち、違うよ!そうじゃない」
「だったら、一緒に帰りましょう!ね?」
「ごめん、駄目なんだよ、もう」
「ど、どうしてですか…」
「ごめん…」
「で、でも!みぬき、これは受け取れません!」
「…じゃあ、みぬきちゃんから、成歩堂さんに伝えて…」
「…オドロキさん…」
みぬきは酷く悲しそうな顔をしながらも、のろのろと手を差し出して、封筒を王泥喜に渡した。
それを受け取ると、それ以上、彼女と会話を続けることは出来なくなってしまった。
見っともなく決意が揺らいで、今すぐにでも封筒ごとメモを破り捨ててしまいそうになったから。
「また、改めて連絡するから…」
それだけ言って、王泥喜は彼女に背中を向けた。
「みぬき、信じてますからね。オドロキさんは帰って来るって」
「……」
背中に浴びせられた言葉に、返す言葉も見付からず。
その日、王泥喜は成歩堂事務所を後にした。
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