Pathos4




声も呼吸も全部塞いで、無我夢中で口内に舌を捩じ込む。
勢い余って、どちらかの唇を切ってしまったのか、絡めた舌先には血の味が染み込んだ。
やがて、苦しそうに上がる成歩堂の声に、少し頭の奥が正気に戻って来る。
きつく襟首を押さえたままだったことに気付き、王泥喜は慌てて力を緩めた。
同時に、成歩堂の体からも力が抜ける。
自分に凭れるように寄り掛かって来た体を受け止めて、王泥喜はぎゅっと彼の背に腕を回した。
一度舌を引き抜き、彼の唇に柔らかく噛み付くと、柔らかい唇の感触に、頭の奥が軽く痺れたような気がした。
でも。
キスを深くする為、彼の髪を握り締めようとして、ハッとする。
掌に伝わる、濡れた髪の毛の感触。
王泥喜は一度唇を離して、少し荒い息を吐く成歩堂をきつい眼差しで見上げた。
乱れた呼吸に、お互いの唾液で濡れた唇。
成歩堂の乱れた様子は、王泥喜の背筋にぞくりと痺れを走らせたけれど、首を振って欲求を振り払った。
確かめないと…。

「どうして…嫌がらないんですか?」
「……」
「このままじゃ、何するか、解からないです…俺…」

何だか泣きそうな声が出て、自分でも驚いた。
成歩堂の衣服を掴んだ手が小さく震えた。
無茶苦茶なのは解かっている。
彼にこんなこと言っても、どうにもならない。
早く、止めろと言って、自分を窘めて欲しい。
そうしたら…、今ならきっと、謝って、何もなかったことに出来る。
そんなことを願いながら、王泥喜は成歩堂の反応を待った。
そして、暫くの間の後。

「構わないよ、オドロキくん。きみなら…」
「……!!」

返って来た答えに、王泥喜は自分が絶望しているのが解かった。
せめて、牙琉検事が見かけた誰かが、彼の恋人だとか、大事な人だとか。
それなら良かったのに。
それなら、自分がふられても、思い出は残ったのに。
王泥喜のことも受け入れられるなら、裏切っても構わない、ただそれだけの相手だと言うことだ。
自分だけじゃない。
誰にでも、こうされたら…受け入れてしまうんだろうか。

「そう、ですか…」

気が抜けたように呟くと同時に、何かがぷつりと音を立てて切れたような気がした。

直後、王泥喜は成歩堂の手を乱暴に引いて、事務所を飛び出した。
かなり強引にぐいぐいと引き摺るように歩き続けて、一番近くにあったホテルに入って、部屋の中に押し込めた。
終始会話を交すことはなかったけれど、それで良かった。
熱に蕩けた頭のままでいたかったから。
王泥喜は夢中で成歩堂をベッドに押し倒して、その上に乗り掛かった。
どんな表情をしているのかは、見えない。
ただ…。

「オドロキくん…」

成歩堂の唇が、何か言い掛けたのを見て、王泥喜は咄嗟に彼の口を掌で塞いだ。
拒絶であれ肯定であれ、今は何も聞きたくなんてない。
夢中で、側にあったタオルを手繰り寄せて、それを彼の口内に押し込んだ。

「ん…っ、ん、ぐ…」

成歩堂はかなり驚いたようで、呻き声は切羽詰ったものだった。
けれど、それすらもう、何も感慨を齎すものじゃない。
捲り上げたパーカーを両腕に巻きつけて、自由を奪った。
そんなことをしなくても、彼は逃げ出さなかったかも知れないけど。
何だか、訳もなく怖かったのかも知れない。
顔を寄せて首筋に唇を寄せると、彼からは仄かに甘い石鹸のような香りがした。
怒りに似た衝動で、カァっと頭に血が昇るのが解かる。
良い匂いのするその首筋を、王泥喜は痕がつくほどきつく吸い上げた。

真っ暗なままだったので、手探りでベッドの横のスイッチを探すと、一番最初に触れたものを押す。
少し離れた浴室の方の明かりがつき、部屋の中はぼうっと明るくなった。
成歩堂の体が、明かりの中に薄く浮き上がって見える。
衣服が乱れて、自由を奪われて、その上で小さくもがく彼の様子は、堪えていたものを膨れ上がらせるのに、十分だった。



「んっ…ん!」

指先を奥へと進める度、成歩堂の体がベッドの上で跳ね上がる。
部屋にあった潤滑油のようなものを駆使して、王泥喜はその場所を少しずつ解して行った。
二本目の指先が侵入する頃には、彼から上がる呻きは苦しげなものだけではなくなっていた。
甘さを含んだ、艶っぽい声。
それは王泥喜の頭の奥を蕩けさせたけれど、同時に胸の中を苦いもので満たした。
ついさっき、他の誰かも、こうして彼の声を聞いたかも知れない。
そう思うと、何だか堪らなくなってしまった。

「ぐ…ッ、んん…!」

少しずつ身を進めると、喉の奥で声が上がった。
びく、と引き攣る彼の両足が、ベッドの上で泳ぐようにもがいて、シーツをぐちゃぐちゃにした。
部屋の中は纏わり付くように湿った空気が溢れていて、何だか酷く不快だ。

(あ…クーラー、つけ忘れて…)

頭の何処かで、場違いにそんなことを考える。
何しているんだろう。
少なくとも、したかったのは、こんなことじゃない。
それに、これで、何もかも滅茶苦茶だ。
もう、顔を合わせることなんか、出来ない。
でも、これでいい…。

「んん・…、っ…!」

そう言い聞かせても、彼を突き上げながら、何故か目の奥が熱くなって、幾つも幾つも涙が落ちた。
透明な雫が滴り落ちて、成歩堂の頬が濡れる。
目の前の景色が、ぼやけた硝子の中の世界のように見えて、全部滅茶苦茶に壊してしまいたかった。



思えば…弁護士を続けるのは、何も成歩堂事務所じゃなくていい。
それに、最初から解かっていた。
みぬきには成歩堂が、成歩堂にはみぬきがいる。
彼の足の怪我だって、もうとっくに治っているのだ。

(俺がいなくても、もう、大丈夫なんだよな)

ぐったりとしたように眠ってしまった成歩堂を置いて、翌朝まだ薄暗い内に部屋を出て、そんなことばかり考えていた。
事務所に戻ると、ソファにはみぬきが小さな寝息を立てて眠っていた。
きっと、帰って来たら誰もいなくて、心配で帰りを待っていたに違いない。
彼女を起こさないように、王泥喜はそっとデスクの引き出しを開けて、メモとペンを取り出した。
言いたいことは沢山あったけれど、言葉が何も出て来なかった。
今まで世話になったとか、突然辞めるなんてすまないとか、数行だけ簡素な文を書くと、王泥喜はそれを折り畳んで封筒に入れ、デスクの上に置いた。

「ごめん…」

無邪気な寝顔を見て、そっとみぬきの髪の毛を撫で、それから事務所を出た。
今までのことは、楽しい夢でも見てたと思えばいい。
とぼとぼと力なく歩いて、角を曲がったところで、遠くからバタバタと慌しい足音が聞こえ出した。
続いて、自分を呼ぶ声が聞えて、ぎくりとした。

「オドロキさん!!」
「……!」

振り向くと、さっきまで確かに眠っていたはずのみぬきが、息を切らしながら走って来た。

「オドロキさん、待って!!」
「みぬきちゃん、何で…」
「何ではこっちです!辞めるなんて、本気なんですか!」

みぬきは声を荒げて、さっき王泥喜が置いて来た封筒を目の前に突き付けた。

「うん、本気だよ。ごめん…」
「どうして!みぬきとパパのこと、嫌いになっちゃったんですか?!」
「ち、違うよ!そうじゃない」
「だったら、一緒に帰りましょう!ね?」
「ごめん、駄目なんだよ、もう」
「ど、どうしてですか…」
「ごめん…」
「で、でも!みぬき、これは受け取れません!」
「…じゃあ、みぬきちゃんから、成歩堂さんに伝えて…」
「…オドロキさん…」

みぬきは酷く悲しそうな顔をしながらも、のろのろと手を差し出して、封筒を王泥喜に渡した。
それを受け取ると、それ以上、彼女と会話を続けることは出来なくなってしまった。
見っともなく決意が揺らいで、今すぐにでも封筒ごとメモを破り捨ててしまいそうになったから。

「また、改めて連絡するから…」

それだけ言って、王泥喜は彼女に背中を向けた。

「みぬき、信じてますからね。オドロキさんは帰って来るって」
「……」

背中に浴びせられた言葉に、返す言葉も見付からず。
その日、王泥喜は成歩堂事務所を後にした。



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