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ある日の夜中。
突然、物凄い勢いで部屋のチャイムが鳴って響也は目を覚ました。
続いて、何度も何度もドアを叩く音が聞こえて来る。
何事かと外を覗くと、扉の前にはあの成歩堂龍一が立っていた。

「何だい、こんな時間に……」

言い掛けた響也の言葉は、最後まで発することが出来なかった。
こちらに伸びて来た成歩堂の手に、物凄い勢いで襟首を掴まれたから。
思わず息が詰まって眉を顰めた響也に、彼は血相を変えて詰め寄ってきた。

「きみ!知らないかい!?」
「な、何がだい?」
「いなくなったんだよ!!きみは知ってるんだろう?」

そう言いながらも、彼は更に力を込めて襟元をぎゅうぎゅう締め上げる。
息が詰まって苦しくなり、響也は焦って彼の腕を引き剥がした。

「と、とにかく落ち着いてくれよ、ちゃんとぼくにも解かるように話してくれないか?」

何となく、面倒臭そうな話だし、このまま追い返したいのはやまやまだったけれど、つい、勢いに飲まれてしまった。
それに、彼がこんな時間に自分のところにやって来るなんて、本当にただ事じゃない。
気が進まないながらも、響也は成歩堂を部屋の中に迎え入れた。

「で?一体どうしたんだい?」

取り敢えずソファの上に座らせると、隣に腰掛けて問い掛ける。
少し沈黙した後、彼は重々しく口を開いた。

「……いなくなってしまたんだ、みぬきが」
「え……?」

意外な内容に目を見開く響也に、成歩堂はことの成り行きをぽつぽつと語り出した。



数時間前のこと。
二人はいつものように他愛もないやり取りを繰り返していた。

「パパ!いつになったらみぬきとコンヤクしてくれるの?もうみぬき大人なのに」
「まだまだ子供だよ、みぬきは」
「この前もそんなこと言って!じゃあいつになったらいいの?」
「そうだなぁ、もう少し、大人になったらね」

響也は二人の会話の内容に目を丸くしたけれど、どうもこれが成歩堂親子の日常らしい。
年頃の女の子と、義理の父親。
確かに、そんな感情が芽生えても可笑しくないのかも知れない。
けれど、成歩堂がみぬきを大切に思う気持ちは、あくまで娘としてのようだ。
だからいつも上手くかわして来たのだとか。
でも、今日に限ってはそれが思う通りに行かなかったらしい。

「もう、いいもん!パパのバカ!分からず屋!」
「……!みぬき……?」
「みぬきが大人になって、今よりうんと可愛くなってから後悔したって、遅いんだから!」
「な、何だって?」
「もうみぬき、王子さまと駆け落ちするから!」
「みぬき……!!」

そう言い残して、彼女は成歩堂の制止も振り切って出て行ってしまった。
すぐに帰って来ると思ったのだが、夜中になっても戻らない。
電話も通じない。
まさか、本当に響也に会いに行ったのではないか。
フェミニストの響也のこと、喜んで部屋に迎え入れてあげるに違いない。
そして、今晩はもう遅いから泊まって行けとか、そう言う話になり…。

『王子さま!みぬき、何か夜食でも作ります!』
『いいんだよ、お嬢ちゃん。気を使わないでくれないかな』
『じゃあ、せめて……みぬきを食べて下さい』

―ちょ、ちょっと待った!!みぬきはまだ未成年だ!!とか。

『生憎だけど、ベッドはひとつしかないんだよ、お嬢ちゃん』
『王子さま……みぬき、構いません。王子さまと一緒なら…』
『本当にいいのかい、お嬢ちゃん……』
『覚悟は出来ています、王子さま』
『お嬢さん……』

―い、異議あり!!冗談じゃない!!とか。

そんな感じで、成歩堂の不安は徐々に膨らんで、必要以上に飛躍した妄想が頭の中を駆け巡り、いても立ってもいられなくなったのだそうな。



「……と、言う訳なんだよね、牙琉検事」
「と言う訳、と言われても……」

全部聞き終えると、響也は深く溜息を吐き出した。

「成歩堂龍一。残念だけど、お嬢さんはここには来てないよ?」
「どうやら……本当にそうみたいだね」

もっと食って掛かってくると思っていた彼は、意外にもあっさりと納得して身を引いた。
そして、疲れ果てたようにソファのせもたれにドサッと凭れかかった。

「じゃあ、みぬきは……どこへ行ったんだろう……」

呟く彼の掌には、綺麗に薄く輝く緑色の宝石が握られていたけれど、それの持つ意味など、響也に解かるはずもなかった。



その後。

「成歩堂龍一、とにかく今日はもう帰ったらどうだい?今頃は戻ってるかも知れないだろう?」
「……」
「聞いてるのかい、成歩堂さん」
「……」

大騒ぎしていた先ほどとは一転して。
成歩堂は、今度は何を話し掛けても反応がなくなってしまった。
しかも、ソファの上で膝を抱えてそこに顔を埋めて座ったまま、動かない。
まるで拗ねた子供みたいだ。何て厄介な33歳だろう。
これは、少し腰を据えて説得するしかないだろう。自分の安眠の為に。
響也は軽い溜息を吐くと、説得するような口調で声を掛けた。

「あのさ、そんなに心配しなくても、あの年頃の女の子には色々あるんじゃないかい?」
「……」
「それに、お嬢さんが帰って来てもしあんたがいなかったら、心配するんじゃないのかな」
「……」

何を話し掛けても反応がない。
ハァ、と何度目になるか解からない溜息を吐き出して、響也は顔を伏せた。

どうしたものだろう。
まさかここに一晩中いるつもりじゃ……。
彼と二人きり、正直、かなり気まずい。
そんなことを気にしなくても良いのかも知れないけれど、やはりあの裁判のことを考えると…。
困り果てたように思考を巡らせていた響也は、ふと視線を上げて、思わず息を飲んでしまった。
いつの間にか、顔を上げていた成歩堂が、こちらをじっと見つめていたのだ。

「……?」

(な、何だ……?)

何か言いたそうな、彼の顔。
この目で見られると、何だか責められているような気になってしまう。
彼に負い目があることは、あまり考えたくないのだが。
尚も、穴の開くほどまじまじと視線を注がれて、流石の響也も少したじろいでしまった。
女の子に見つめられるのは慣れているけれど、大の男に見つめられるのは慣れない。
それも、相手はあの、成歩堂龍一。
何だか射抜かれてしまったようにに、すぐには言葉が出てこない。

「な、何だい?ぼくの顔に何か……」

それでも、ようやく重い唇を動かしてそれだけ言う。
何だか喉が渇いたみたいな、そんな不快感を感じる。
緊張しているのだろうか、この自分が。
彼のせいで……?

それから、数分。
長い沈黙が続いた後、彼はようやく独り言のように口を開いた。

「みぬきは、きみの何処がいいんだろう」
「ど、どこって……失礼だなぁ、あんた。ぼくはこれでも……」

続けようとした響也の言葉に、成歩堂の声が重なる。

「……やっぱり、顔かな」
「……え」

何なんだろう、一体。
彼は何を言っているのだ。
そりゃ、顔が良いのは事実だけど。

「そうか……。みぬきはこう言う顔が好きなんだな」

そんなことを呟きながら、彼の手が伸びて、響也の髪の毛を手の平で掬い取る。

「ち、近いよ、顔……」
「牙琉にそっくりだな、きみは」
「ちょ、ちょっと……」

戸惑う響也の声など聞こえもしないように、彼はぐいと掴んだままの髪の毛を引いて、更に側に顔を寄せた。
ちくりと痛みが走ったのに、文句の言葉も出て来ない。
気だるい中にも純粋さが垣間見える彼の目が、ハッと息を飲むほど近くにある。
やがて、更に彼が顔を寄せて、その輪郭も滲んでぼやける。

「嫌いじゃないよ、きみの顔」
「な、成歩堂、龍一……」

何をたじろいでいるのだ、自分は。
早く後退すればいいだけのこと。
いや、でも。
こんな目でじっと見られたら、何と言うか……。
何だか、自分たちの周りだけ時間がゆっくり流れているような、妙な感じだ。
まるで彼に引き寄せられているみたいだ。
意識せず、距離が少しずつ縮まって行くことに、響也は気付かない。
部屋の中には、再び奇妙な沈黙が広がった。
そして、殊更ゆっくりと時間が流れて。
不意に、口元に彼の吐息が軽く掛かって、響也はハッと我に返った。

「……っ!」

そんなにも側まで顔を寄せていたことに、改めて驚く。
急いで身を引くと、響也は思わず顔を逸らした。
今、自分は何をしようとしていたのか。
あのままあと数秒、距離を詰めていたら……?
どうかしている。
彼の気が動転しているのは解かるが、自分まで引き摺られてどうする。

「と、とにかく、何かお茶でも入れるよ」

妙な引力を何とか振り切って、ぐい、と彼の体を引き剥がすと、ソファから思い切り立ち上がる。
気のせいか、立ち去る背中にも彼の視線を感じて、響也は少し足を早めた。